フライング Ⅱ
続き。
航空券を予約する際、エクスペディアを使ったことは前編でも書いた。
一人旅で空路を用いるのは初めてだったので幾らか心配事はあったが、職場の一人旅好きな先輩曰くエクスペディアでLCC航空券+宿泊先を予約するのがオススメとの助言を頂いたので従った次第である。
結論から言うと、とても簡単で使いやすいサービスだった。
出発地・目的地・出発日・現地出発日を入力してワンクリック。
数秒待つと最初に宿泊先ホテルの候補先が並び、この時点で航空券付きの最安価格が表示される。一言、安い。
最初に見たときは2万円代だったので目玉が飛び出たけれど、画面を進めていくと出発のフライトが夕方だったりするからあんまりアテにならない。
ホテルは札幌市内の地下鉄駅付近かつ「バイクが停められる」条件で予め見つけていたので即決。実は某聖地巡礼と同じくらい「レンタルバイクで北海道ツーリング」したいという目的もあったのだ。一泊二日でどこまで詰め込む気だっていう。
ちなみに決めたホテルは大通公園付近だったので、札幌中心地中の中心地だ。ちなみに札幌は行ったことはない。
続いて、以下のポイントに気をつけてフライトを選ぶ。
「出発時間が早い」「現地滞在時間が長い(新千歳を夜出発できる)」「安い」
当たり前だけど一泊二日の旅行は朝早く出て現地滞在時間を稼ぎたい。ここには超課金も厭わない。
そして帰りもできればゆっくりしたい。まぁ現地発つのが遅くなればなるほど翌日の仕事にダメージは残るが・・・・・・。
航空会社?安ければなんでもいいさ。
ちなみに出発空港は自宅から最寄りの伊丹で。問題ないでしょ?
・・・いや、問題ありまくりでした。LCCで新千歳行きが無い!するとどうなるかって、JAL/ANAで片道3万近く払うことになる。んー、さっきコミコミで2万円代のプラン見ちゃってぬか喜びしてるから3万は厳しい。厳しすぎる。
じゃあ出発空港を変えるしかないね。ちょっと遠いけど神戸空港で探してみる。
神戸空港はスカイマークの拠点地なので便数も多く、また新千歳行きも結構有り、
なんと午前中に新千歳空港着という願っても無いフライトがあったので即決!
復路はこれまた新千歳20時発という俺得な便があったので助かった。多分どっちも追加料金はとられていない。
こうして、土曜の朝6時半に家を出て、日曜の24時に帰宅する馬鹿みたいな弾丸旅行プランの骨格が決まりましたとさ。
フライング
Go To Travel キャンペーンが開催される前に一泊二日でサクッと北海道へ行ってきた。
梅雨真っ只中の近畿を脱出して、涼やかな風が駆ける北の大地へ。
6月頃からずっと計画をしていた旅だった。
緊急事態宣言が解除され、徐々にコロナ感染の報告者数も減少していった当時、
少しずつ観光地は人を取り戻し、イベント規制の緩和も決まり、かつての日常に戻りつつあった。
が、程なくして夜の街クラスタ発生。なかなかゼロにはならない新規感染者。
第二波の到来を感じさせつつも、夜のたまり場を避ければよいのでは?
梅雨の高温多湿・真夏の酷暑の中でウイルスも不活発になるのでは?
そう考えていた時代が私にもありました、ええ。
私だけではなく、政府も某キャンペーンの実施を発表したりね。
そして、漫画・アニメ「波よ聞いてくれ」聖地巡礼・スタンプラリーも再開が決定。
www.stamprally.net
当初はGW前からスタートする予定だったが緊急事態宣言を受けて延期していた。
6月に入り、25日からスタートすることが決まって明るいニュースでした。
これを受けて北海道に絶対に行かねばなるまい、と心は決まった。
そして
エクスペディアで格安航空券・宿泊先を調べる毎日。
結局の所、有給はとらず、来る4連休を避け、
あえて普通の土日に訪れれば、観光客も少なく快適に、連休中より安価に飛べるのでは。
ということで選択肢は絞られ、簡単にチケットを手に入れることができた。
正直な話、神戸〜新千歳空港の往復券と札幌市内のホテル1泊代こみで4万ちょっとで済んだのである。
サンキュースカイマーク!
嫁の了解を得て、こうして弾丸旅行は決行されることとなりました。つづく。
大阪北部地震から2年
二年前の今日、最大震度6弱の地震が大阪北部を襲ったとき、僕はちょうど阪急電車に乗っていた。
大阪に引っ越してきて初めての梅雨を迎えるときだった。
電車は南茨木駅を出発し、加速を始めてすぐに急減速し停車。電線が揺れているのをみてすぐに地震と気がつき、あとから体感でそこそこの揺れを感じた。
車内アナウンスが地震の発生を告げ、これはしばらく動かないだろうと思った。家にいる妻に連絡をとり、少し経ってから身体と家は無事であること、猫が驚いてソファの下から出てこなくなったとのことで、すこし安堵した。
それからまもなくTwitterで大阪北部が震源との情報を得る。
車窓からの景色はさほど変化がなかったが、震度6クラスの強さであること、隣駅のホーム電光掲示板が落ちている写真を見てこれはしばらく缶詰状態だなと覚悟した。断水に備えて、お風呂に水を貯めるよう伝えた。
たしか9時頃に電車が後退して、南茨木駅で降車させられた。
止まっているエスカレーターをのぼり、駅構内のあちこちに目をやると壁にヒビが入っていたりタイルが落ちていた。
この日からしばらく南茨木駅は利用できなくなった。
駅を出ると同じように電車を降りた乗客、これから乗る予定であった人々が静かとも騒がしいともいえない空気の中、スマホの画面に顔を落としたり、電話をかけようと試みていた。
外でこういったアクシデントに見舞われると、普段以上に他人の顔や表情が目に入らなくなるものだなあと思った。
地震発生直後に会社へ仕事を休む旨を伝えていたので、徒歩で家路についた。
ほとんど人に出会わず、ただただ不気味な静けさの中を歩いて帰ったことを覚えている。
救急車やパトカーのサイレンも聞こえてこなかった。
踏切ではカンカン音が延々と鳴り響き、来るはずもない電車を待って遮断器が道を閉ざしていた。