僕は字が汚い
僕にとってボールペンで字を書くのはひどく苦痛な作業である。
負のコンプレックスとまではいかないが、自分の講義ノートを見返す度に読めない字が多くてうんざりする。消しゴムのケシカスみたいなもにょもにょした、時にはひょろひょろとした小さな波が軸線の上で踊っているだけだ。
それでも書いている間は一心不乱に勉強を頑張ってる気になれるから、数ある講義時間の潰し方の中では有益だと思う。しかしその作業だけを切り取って印象を述べるとやはり苦痛な作業である。
5,6歳頃から鉛筆を持ち、10を過ぎてからはシャーペンに持ち替え、高校の受験勉強の頃は専らボールペンを握っていた。とにかく僕は15歳の頃、今までの人生の中でも最も勉強に時間を費やしていてた。薬名の入ったノベルティのペンを何本も書き潰し、その行為こそが勉強の達成感を得る一つの指標でもあった。日本語から英語、数式、化合式、全てをボールペンで解いて書いて解いて書いて書きなぐってノートを埋めて、なんとか受験戦争を乗り切った。
僕は幼い頃から取り立てて字が上手いとも下手とも他者から言われたことはない。習字の授業は高校二年次まであったが提出物は例外なく平凡点を頂き、次の日には何を書いたか忘れていた。他人の丁寧な字を見て上手いと思うことは勿論何度もあったけど、あれを目指そうとか、負けたとか、対抗心は一切燃やさなかった。字は指紋のようなもので、一生変わらないとさえ思っていた気がする。
そんな自分がついに己の字に許せなくなったのは二十歳を過ぎたここ数年のことだ。
もう一度見ただけでは書かれた内容を記憶できない年齢に差し掛かる頃、つまり大学生は、どんなに屑で授業が退屈でも、少なくとも黒板に書かれた文字くらいは書き写す。無論、出席すればの話。定期試験ではその自筆のノートを頼みの綱で、時には他人のモノを借りたり信頼の置けない有料ノートに金を落として定期試験と闘わねばならぬものだが、ついに自分の愚かさに気づいてしまった。
あまりにも自分の字が汚すぎて講義内容を思い出せない、と。
真剣に聴講していた講義すらメモを頼りにして先生の小言を思い出すというのに、僕の書き落としたキーフレーズのほとんどは解読できなかった。いかん。これはいかんぞよ自分。
自分が読めないということは論述問題の採点をする側も自分以上に解読に難儀している訳で、もしかしたらその為に採点者の気を削ぎ、僕はいくつかの単位を落としているかもしれない(!!!!!)
また、いつの日かキングジム社のポメラを持って講義に臨んだ事もあったが、板書を写すためだけに特化しているので挿絵や図、脚注、メモを自由に挿入出来ないために程なくしてホコリを被った。単位の神が僕に囁く「講義は一冊のノートにまとめなさい」と。
いやいや、近々、ESを自筆で書くことになるだろうし字が汚いのはまずい。人事の方に汚部屋を晒してるようなものだ。というわけでボールペン字練習帳なるものを買ってみた次第でございます。
- 作者: 東京書芸学園
- 出版社/メーカー: 西東社
- 発売日: 2009/05
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
1日15分程度、10日間続けてようやくひらがなとカタカナの基礎を終えました。明日から漢字です。板書の7割は漢字だから、ここからが真の「矯正」かな。
でも実用性を考えると草書、行書が上手くなりたいなぁ。ゆくゆくは。
正中線(?)をきちんと置くと縦書は見栄えがとても良くなりますね。
ちなみにボールペンはSARASA0.5を使用しております。