フライング
Go To Travel キャンペーンが開催される前に一泊二日でサクッと北海道へ行ってきた。
梅雨真っ只中の近畿を脱出して、涼やかな風が駆ける北の大地へ。
6月頃からずっと計画をしていた旅だった。
緊急事態宣言が解除され、徐々にコロナ感染の報告者数も減少していった当時、
少しずつ観光地は人を取り戻し、イベント規制の緩和も決まり、かつての日常に戻りつつあった。
が、程なくして夜の街クラスタ発生。なかなかゼロにはならない新規感染者。
第二波の到来を感じさせつつも、夜のたまり場を避ければよいのでは?
梅雨の高温多湿・真夏の酷暑の中でウイルスも不活発になるのでは?
そう考えていた時代が私にもありました、ええ。
私だけではなく、政府も某キャンペーンの実施を発表したりね。
そして、漫画・アニメ「波よ聞いてくれ」聖地巡礼・スタンプラリーも再開が決定。
www.stamprally.net
当初はGW前からスタートする予定だったが緊急事態宣言を受けて延期していた。
6月に入り、25日からスタートすることが決まって明るいニュースでした。
これを受けて北海道に絶対に行かねばなるまい、と心は決まった。
そして
エクスペディアで格安航空券・宿泊先を調べる毎日。
結局の所、有給はとらず、来る4連休を避け、
あえて普通の土日に訪れれば、観光客も少なく快適に、連休中より安価に飛べるのでは。
ということで選択肢は絞られ、簡単にチケットを手に入れることができた。
正直な話、神戸〜新千歳空港の往復券と札幌市内のホテル1泊代こみで4万ちょっとで済んだのである。
サンキュースカイマーク!
嫁の了解を得て、こうして弾丸旅行は決行されることとなりました。つづく。
大阪北部地震から2年
二年前の今日、最大震度6弱の地震が大阪北部を襲ったとき、僕はちょうど阪急電車に乗っていた。
大阪に引っ越してきて初めての梅雨を迎えるときだった。
電車は南茨木駅を出発し、加速を始めてすぐに急減速し停車。電線が揺れているのをみてすぐに地震と気がつき、あとから体感でそこそこの揺れを感じた。
車内アナウンスが地震の発生を告げ、これはしばらく動かないだろうと思った。家にいる妻に連絡をとり、少し経ってから身体と家は無事であること、猫が驚いてソファの下から出てこなくなったとのことで、すこし安堵した。
それからまもなくTwitterで大阪北部が震源との情報を得る。
車窓からの景色はさほど変化がなかったが、震度6クラスの強さであること、隣駅のホーム電光掲示板が落ちている写真を見てこれはしばらく缶詰状態だなと覚悟した。断水に備えて、お風呂に水を貯めるよう伝えた。
たしか9時頃に電車が後退して、南茨木駅で降車させられた。
止まっているエスカレーターをのぼり、駅構内のあちこちに目をやると壁にヒビが入っていたりタイルが落ちていた。
この日からしばらく南茨木駅は利用できなくなった。
駅を出ると同じように電車を降りた乗客、これから乗る予定であった人々が静かとも騒がしいともいえない空気の中、スマホの画面に顔を落としたり、電話をかけようと試みていた。
外でこういったアクシデントに見舞われると、普段以上に他人の顔や表情が目に入らなくなるものだなあと思った。
地震発生直後に会社へ仕事を休む旨を伝えていたので、徒歩で家路についた。
ほとんど人に出会わず、ただただ不気味な静けさの中を歩いて帰ったことを覚えている。
救急車やパトカーのサイレンも聞こえてこなかった。
踏切ではカンカン音が延々と鳴り響き、来るはずもない電車を待って遮断器が道を閉ざしていた。
2019年の遠征を写真で雑にふりかえる
ツーリング・キャンプ・ライブ参加が主な趣味なので、緊急事態宣言下の外出自粛は余暇の過ごし方に多大な影響があった事は言うまでもない。
6月を迎えて外出自粛制限解除を受けたので、ここでは去年の遠征記録を写真で振り返ることで外出のリハビリを兼ねてみたいと思う。
1月
とくになし。
2月
いい天気だったので海ツーリング。
4月
二日目のうどん三昧でしたね。
5月
6月
7月
8月
10月
11月
12月
真綾の年越しライブのため上京
というわけで忙しい一年でした。
今年は当然、まだ遠征していませんが6月11日現在も未来の遠征予定は無し。なんて一年だ。