僕は器が小さい?

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二十数年も生きていれば格別お気に入りの映画や音楽、アニメや漫画などが心の中に一つはある。

多感な思春期の頃に聴き惚れていた音楽、冒険心と想像力を培ったゲーム、成長友達と回し読みして盛り上がった少年漫画、人生の教科書の様な映画に出会う大学時代。それぞれ思い出と共に引っ張られる作品たち。

それらの作品の中には自分の中で物差しになる。のちに出会う作品と比べたり、時には淘汰され新たな物差しが生まれる事もあるかもしれない。それでも、懐古厨と指差されても譲れないモノたち。

どこか心の中で綺麗な思い出を汚さないよう聖域へ閉じ込めたり、あるいは新たな出会いを厭う行動がどうして起きてしまうのか。




アニメを観ていて、ふと思ったこと。

まず、僕は熱心なアニメオタクでも声優オタクでも製作信者でもないので、一年間で観る放送アニメはせいぜい3〜4本だ。

例えば今年1クール観た(予定も含む)のは、
「有頂天家族」「ガンダムビルドファイターズ」「WHITE ALBUM
去年は「ジョジョの奇妙な冒険」のみ。

その他、1話でも観た物を挙げると 
カーニヴァル」「アマガミSS」「進撃の巨人」「みなみけ ただいま

番外:「風立ちぬ」


では、なぜ上記の作品を観るに至ったのだろう?


きっかけを思い出しつつ分類してみた。



1.原作を読んだ(プレイ)経験があるから

ジョジョの奇妙な冒険みなみけアマガミ・進撃の巨人(漫画・ゲーム)

2.原作者のファンだから

ジョジョ・有頂天家族(荒木飛呂彦森見登美彦)

3.前作・派生元を観た事があるから

ホワイトアルバム・ガンダム・みなみけ

4.他人にすすめられたから

カーニヴァル

5.ネット界隈で話題だったから

該当なし



この結果を見ると、自分は周囲の話題性や影響を受けて自発的に観ようとしたアニメは一本しかなかったらしい。

昔の習慣や興味心を引きずっているだけだ。

つまり、去年と今年だけを見れば、全く新しいジャンルの作品へ自発的に手を伸ばす事は一度も無かったということ。

これはとても寂しい事のように思える。

理由はあるにしろ、

自らの価値観や想像力の殻を破ろうとチャレンジしなかった結果だと認めざるを得ない。

確実にもっと他作品をすすめられた気もするけどあんまり覚えていない。

また、決して人目を気にしてロリコンアニメや萌え系アニメに距離を置いてるわけでもない。

けいおんは好きだった。


 

昔はもっと貪欲に吸収していたのに……

ガンダムだって宇宙世紀シリーズ全部観たのに……

どうしてこうも自分の脳は皺を作るのをやめてしまったのか……

悲観するばかりである。



やれ「昨今のアニメはクオリティが低い」「今のJ-POPシーンはクソ」だのとゴネる気は毛頭に無い。

単に新たな刺激を受け入れる事を怖がる脆弱な己の精神に原因あるのだろう。

思想の凝りをほぐしたい。脳まで若々しくありたい。



ただ、アニメに関しては時間的制約や他の趣味との兼ね合いで元々優先順位が低かった事で離れがちだったのは一理あるかもしれない。


一方で漫画は週刊連載誌等の立ち読み癖が無いにも関わらず、ネットや口コミで情報を仕入れては新人の作品や話題作をそこそこ読み漁っている。

漫画に対しては新規開拓にほとんど抵抗は無いらしい。むしろ昔、絵柄が苦手で読まず嫌いしていた作品を咀嚼できるようになったくらいだ。


もしかしたら、僕とは真逆でアニメを無尽蔵に視聴しながらも原作を受け入れない人だっているかもしれない。


アニメと漫画、この二つのメディアにおいてアンテナの張り方と消化スピードに著しく差がついた原因は一体なんだったのだろうか?

ただの嗜好の問題なのだろうか?

みんなはどうやって放送中のアニメをふるいにかけて観てるのだろう?

音楽については?

終わり。


P.S こんな僕におすすめのアニメがあったら教えてください